暑い日の夕方、今日は冷しゃぶにしよう、と決める。豚肉を茹でて、野菜を切って、あとはタレをかけるだけ。ここまでは快調です。ところが冷蔵庫を開けて、ごまだれとポン酢を見比べたところで、ふと気持ちが止まる。「また、これか」。
夏のあいだに何度も作る料理だからこそ、味が同じことに家族のほうが先に飽きてしまう。かといって、新しいタレを買い足すのも、結局使い切れずに冷蔵庫の奥で眠らせてしまいそうで気が進まない。
タレの種類を増やしても、マンネリは解決しません。必要なのは、味を自分で調整できる「型」をひとつ持つことです。
市販のタレでは飽きが早く来る理由
市販のごまだれやポン酢が悪いわけではありません。ただ、これらは「誰が使ってもおいしい」ように作られているため、味の輪郭が最初から完成しています。完成しているということは、その日の献立や体調に合わせて動かせないということでもあります。
さらに、多くの市販タレは糖分とうまみ調味料が味の中心を担っています。これらは一口目の満足感が強い反面、口の中に残りやすく、食べ進むうちに単調さが目立ってきます。飽きるのは、あなたの舌がわがままだからではなく、味が変化しない設計だからです。
フランス料理では、こうした冷たい料理にかけるソースの基本形がひとつだけ決まっています。油と酸を混ぜ合わせた、いわゆるドレッシング(フランス語ではヴィネグレットと呼びます)です。材料は驚くほど少ないのに、比率を変え、香りを変えるだけで無限に姿を変える。この「型」を手に入れると、冷しゃぶは一気に自由になります。
手作りドレッシングが決まらない3つの原因
原因1|油と酸の比率を決めていない
「酢とオイルを適当に混ぜたら、酸っぱすぎた」「油っぽくなった」。これは味覚の問題ではなく、単に比率が定まっていないだけです。
基本は油3に対して酸1。この比率さえ守れば、大きく外すことはありません。酸っぱいのが好きなら2対1まで、まろやかにしたければ4対1まで。比率を知らないまま作るのは、地図を持たずに歩くようなものです。
原因2|乳化させていない
油と酢は、そのままではすぐに分かれます。分かれた状態のものを肉にかけると、酸の当たった部分だけが酸っぱく、油の当たった部分だけが脂っぽい、まだらな味になります。
これを一体にするのが乳化です。そして家庭でいちばん確実に乳化させてくれるのが、マスタードです。マスタードに含まれる成分が、油と水分の仲立ちをして、混ざった状態を保ってくれます。マスタードは味の調味料である前に、つなぎ役の道具です。
原因3|酸の種類が一つしかない
お酢といっても、穀物酢、米酢、ワインビネガー、レモン、そして梅やヨーグルトまで、それぞれ酸の質がまるで違います。穀物酢はツンと鋭く、米酢は丸く、白ワインビネガーは軽やかで果実の香りが残り、レモンは香りが立ちます。
いつも同じ酢を使っていれば、他をどう変えても「いつもの味」から抜け出せません。逆に言えば、酸を1本変えるだけで、同じレシピが別の料理になります。
冷しゃぶが生まれ変わる、万能ドレッシング3種
どれも作り方は同じです。酸と塩と香りのものを先に混ぜ、最後に油を少しずつ加える。この順番だけ守ってください。油を先に入れると乳化しません。小さな瓶に入れて振るだけでも作れます。
1|マスタードドレッシング(いちばんの基本)
- 粒マスタード 小さじ1
- 白ワインビネガー 大さじ1
- 塩 ふたつまみ/黒胡椒 少々
- オリーブオイル 大さじ3
マスタード、ビネガー、塩を先によく混ぜ、塩が溶けたのを確認してからオイルを3回に分けて加えます。とろりと白っぽくなれば乳化成功。豚肉にも、レタスやトマトにも合う万能型です。
迷ったらこれ。冷しゃぶが、皿の上で急に「一皿の料理」の顔になります。
2|玉ねぎとレモンのさっぱり型
- 玉ねぎ 1/8個(細かいみじん切り)
- レモン汁 大さじ1
- はちみつ 小さじ1/2
- 塩 ふたつまみ
- オリーブオイル 大さじ2〜3
玉ねぎのみじん切りは、水にさらさずそのまま使うと辛味が立ちすぎるので、切ってから10分ほど空気にさらすか、塩をふって5分置いて水気を軽く絞ります。レモンの香りが飛びやすいので、食べる直前に作るのがおすすめです。
いちばん食欲が落ちている日に効くのがこれ。酸と香りが立っていると、食べる前から体が受け入れる準備をしてくれます。
3|和のうまみを足した醤油型
- 醤油 小さじ2
- 白ワインビネガー 大さじ1
- マスタード 小さじ1/2
- ごま油 小さじ1/オリーブオイル 大さじ2
- おろし生姜 小さじ1/2
フランスの型に、日本の食卓の味を乗せたものです。醤油のうまみが入るので、ご飯にもよく合います。ごま油は全部をごま油にすると香りが強すぎるため、オリーブオイルとの併用に。生姜は食べる直前におろすと香りが違います。
家族に「今日のは何かけたの?」と聞かれるのは、たいていこれです。
タレを活かすための、豚肉の茹で方
せっかくドレッシングを整えても、肉が固ければ台無しです。冷しゃぶの肉が固くなる原因は、ほぼひとつ。沸騰した湯で茹でていることです。
湯が沸いたら火を止め、湯気は立つが泡は立たない状態(80度前後)にしてから、肉を1枚ずつ広げて入れます。色が変わったら引き上げる。これだけで、驚くほどしっとり仕上がります。
そして、茹でたあとに氷水へ落とさないこと。急冷すると脂が白く固まり、口当たりが重くなります。ざるに広げてそのまま冷ますか、うちわで軽くあおぐ程度で十分です。
今日からできる具体アクション
- まず油3:酸1を覚える。これだけで自作は失敗しなくなる
- 酸と塩を先に混ぜ、油は最後に少しずつ。順番が乳化を決める
- マスタードを小さじ1入れるだけで、分離しなくなる
- 酢を1本だけ買い足すなら白ワインビネガーを
- 豚肉は火を止めた湯で茹で、氷水に落とさない
作ったドレッシングは、清潔な瓶に入れて冷蔵庫で3〜4日ほど。冷えると固まることがありますが、室温に戻して振れば元に戻ります。冷しゃぶだけでなく、蒸し野菜、ゆで卵、焼いた鶏肉にもそのまま使えます。
まとめ
冷しゃぶに飽きるのは、料理に飽きたのではなく、選択肢が二択しかなかっただけです。油と酸の比率という型をひとつ手に入れれば、その日の気分で味を動かせるようになります。
レシピを増やすより、型をひとつ持つほうが、台所は自由になります。まずは基本のマスタードドレッシングから、今日の冷しゃぶで試してみてください。
あわせて見たい動画
豚肉を固くしない茹で方と、酸味のソースの合わせ方を動画にしています。湯の状態は、映像で見るのがいちばん伝わります。
この記事で紹介した道具・食材
乳化の要になるマスタードは、ディジョンタイプがひと瓶あると応用が利きます。粒入りにすると食感も楽しめます。
酢を1本だけ買い足すなら、白ワインビネガーを。穀物酢よりも角がやわらかく、肉にも野菜にも使えます。
最後に、少しだけ私のYouTubeのご紹介です。チャンネル「French Kitchen」では、フランスで学んだ”家庭でも作れるフレンチ”のコツやレシピを動画で配信しています。文章とはまた違う、手元の動きや火加減の空気感が伝わるはずです。よかったらのぞいて、新しい一品のヒントを見つけてみてくださいね。

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